2003年度
春学期 鈴木佑治研究会 最終レポート
「社会におけるロックの位置付け」
ロックミュージックの歴史と現代日本におけるロックとは
総合政策学部2年 瓜 生 大 輔
1研究指針
正直、自分の方向性は未定である。というのも大学に入るまでは雑誌関係・編集関係の勉強をしようと考えていたが、その業界の内実を知れば知るほどその気はなくなってきている。また、音楽に関しても、この世界の厳しさを知るだけに闇雲に乗り込む勇気もない。高校時代から雑誌のデザインや編集を好き好んでやっていた。モノのデザインについては常に興味があり、今でもそのような仕事に関わりたいと考えているが具体的なヴィジョンはない。音楽についても早い時期から取り組んでいたが、大学進学の時期には活動を止め長いブランクがある。なおかつ自分自身の作品を売る段階には当然いたらないし、その自信がないのも事実である。
では、なぜ今期の研究テーマを「社会におけるロックの位置付け」としたかであるが、とりあえず現時点で自分が最も興味あることを優先させたのが大きな理由である。音楽を作り、他人に聞かせるという行為の意味、このような場で深く掘り下げなければおそらく一生考えないまま過ごしてしまうだろう。また、音楽に限らずモノを作り他者に伝える作業には、共通する理論があるだろうという推測から、今後異なる分野に進んだとしてもこの研究の成果・手法が生きるのではないかと考えたからである。
研究の指針は「自分自身が音楽を作ることを前提に必要な理論・留意点を模索する」ことである。その第一段階としてロックミュージックが社会の中でどのように位置付けられるかを認識することが今期の課題である。ロックの歴史や、社会的位置付けを知っただけでは、自分の創作活動にフィードバックされない。だが、自分が取り組む分野の社会的背景や理論を知ることは創作する上で不可欠だと考えて、まずはビートルズの時代までさかのぼることにした。また、どちらかといえば今回のメインは「日本におけるロックの位置付け」である。もちろん海外のロックを研究する方が音楽のレベルも含めて有意義ではあるが、あくまで自分が日本で活動し、日本語で曲を奏でる立場であることを考慮し、日本の研究を重視することにした。
※ なお、資料としてCDを添付しました。文章中に適宜トラック番号を明記しましたのであわせてお聞きください。
2ロックミュージック文化の3つの指標
今回主な研究材料とした『ロックミュージックの社会学』という文献で述べられているのが、この3つの指標である。これは、あくまで社会の中で客観的に見たロックミュージックがどのような特性をもつかを表したものである。よって、楽曲の科学的分析や音楽技法の分析とは異なる。
(1)アウトサイド指標
ロックとは反抗の音楽であった。「辺境」や「下層」といったアウトサイドな指標を持った者たちがロックミュージックを立ち上げたのである。もしくは、ロックを社会に認知させるにあたって「反抗の音楽」であることを必要以上に強調した側面もある。
たとえば、ビートルズを語るときには「リバプールという田舎町」・「労働者階級」といった意味づけが常に与えられた。彼ら自身も記者のインタビューにそっけなく、かつ反抗的なメッセージを残すなど、「外れ者」感を強調していたといえるだろう。ボブ・ディランならば、公民権運動にコミットメントしたことが人種的な被差別者の側に立つことを示すものとして大きく扱われる。かた、彼自身がユダヤ系に出自を持つことも取りざたされていた。また、小さい頃「家出少年」だった彼の私生活も話題に上げられるのである。ローリング・ストーンズはロンドン出身で「都市の中の最下層」、かつ「不良イメージ」を前面に出して活動した。1963年当事に使われた「娘をローリング・ストーンズとのデートに行かせますか?」というキャッチコピーが有名である。
ここで注目すべきなのは、このアウトサイド指標はロックを生み出した彼らが生まれながらに持っていた指標であることも確かであるが、ロックという音楽を「社会に売る」際に利用された側面が大いにあるのである。すなわち、純粋な芸術音楽を聴くような者をターゲットとするのではなく、社会の中で外れ者・下層階級・反抗者と自覚するような層に認知されるための宣伝手法だったともいえる。
また、この反抗の精神は「ドラック服用者の音楽」を生んだ。外れ者がドラックを服用して生み出した世界観を音楽に反映するというものである。その他、ボーカルによるシャウトや乱暴なライヴアクトなど、反抗を記号化したものがロックミュージックの中で多々存在するのである。
(2)アート指標
ロックがロックたるアイデンティティを得たのは前述したアウトサイド指標である。だが、いわゆるビートルズ後期までの「ロックンロールの時代」はロックがファン層を伸ばしていくのと裏腹に、社会におけるロックの印象は最低なものだった。というより、音楽のジャンルという認識はなく、下品で低俗な娯楽物だという解釈しかされていなかったのである。
代表的なのはエルヴィス・プレスリーに対する批判である。評論家は「下劣でいやらしい踊りの名人」と評した。またニューヨーク・ジャーナルは「まるで原始人のステップを見るようだ」「白人の子どもを黒人にする陰謀の張本人」とまで書かれたのである。決して彼らの音楽自体が問題だったのではなく、その社会における認知・イメージが生んだ扱いだったと解釈せざるを得ない。もちろん「芸術」たるものを担っているとされたブルジョワ階級に言わせれば「無私無欲・純粋さを持つ作品」「芸術のための芸術」を求めていたのであり、当然センセーショナルな歌詞や言動・イメージを前面に出す「ロックンロール」を芸術であるとは認めなかった。[添付CDトラック1−2]
そして、ロックンロールがはじめて「ロックミュージック」という音楽ジャンルとして認知されるようになったのはボブ・ディランやビートルズの音楽の転換期であった。それまでフォークで芸術的表現を試みていたボブ・ディランは1965年頃突如ロックへの転換を図ったのである。「超現実的でさまざまな示唆に富む」と評された彼の詞はまさしくアート指標を目指したものであり、「純粋趣味」の信奉者を満足させるもとのなったのである。そして1967年に発表されたビートルズの「Sgt.
Pepper’s Lonely Hearts Club Band
」でその作品性は「音楽史上不朽の名作」「音楽芸術の最高峰」といわれるほどの高い評価を得る。それはニューヨーク・フィルの常任指揮者が「ビートルズのサウンドはバッハのフーガに匹敵する美しさを持っている。あらゆる意味で、彼らは今世紀最高の作曲家である。」と言わせたほどであった。この作品でビートルズがライヴ活動を止め、創作活動に専念したという背景はあるが、それ以前の彼らの活動により徐々に認知が広まり、この作品をきっかけとして「ロック」という分野が本当の意味で認知されたのだといえるのではなかろうか。
社会的認知はおおよそこのような展開だったが、このロックのジャンル確立は技術的な発展によるものも大きい。電子楽器・多重録音技術の発展、録音技術の向上が芸術性を駆使した作品制作に大きく貢献したのである。とくにビートルズの音源などは当事の最高技術8トラック録音(重ね録りが8回までしかできない)の中で作られたものとは到底考えられないで出来である。また、個人的な趣味の知識によれば、エレクトリックギターの代名詞フェンダー・ギブソン・リッケンバッカーというメーカーはおもに1950年代にエレクトリックギターを開発し、60年代にその量産体制を整え、市場に普及させている点も注目すべきである。例えばギブソンのレスポールというギターは現在の市場で1970年ぐらいのものだと30万円前後、1965年で50万円前後、1960年以前では100万円以上の希少価値が付いている。ギターの種類も増え、さまざまな音色が試行されるようになったのもこの時代なのである。[添付CDトラック3−5]
(3)エンターテイメント指標
ロックが「反抗の文化」として根付くためには当然商業的な「市場」を得なければならなかった。時には、その音楽自体ではなく言説やパフォーマンスによる「ロックのイメージ付け」が先に出ることもしばしばだ。だがロックが反抗の音楽であること自体は閉鎖主義であるのに、その反抗の精神自体を売り物にしてファンを獲得する行為は閉鎖主義に矛盾するのである。つまり単に下層であり、反抗であっても市場に入り込まなければ自然消滅してしまうのである。過剰なまでのライヴパフォーマンスや、ビジュアルやスタイルの確立はロックのイメージ付けに大きく関わる。ビートルズがデビュー前までの皮ジャンにリーゼントというスタイルをデビュー時にスーツに変えさせたという話は有名である。ロックが社会に認知されればされるほど、それはビジネスの道具としても認知されるのである。演奏者のビジュアルだけでなく、関連グッズの生産や過剰なまでのマスコミ報道は徐々に「ロックの精神」とはかけ離れたものとなるの。それはロックが持つ反抗性も失われるし、芸術家としての立場も奪っていくのである。ライヴを行っても演奏を聞くどころか騒ぎ立てる、過剰なまでの報道過熱の結果ビートルズは66年にライヴ活動を打ち切っている。またエリック・クラプトンは「バンドがコマーシャルになったから」という理由でヤードバーズを脱退している。商業化していくロックは、その反抗精神を奪う一方で、芸術性に目覚めたミュージシャンにとっても「身売り」の行為に思えてならなかった。
だが、エンターテイメント性・商業性なしに生きられる業界はもはや存在しない。ロックミュージックであってもそれは同じである。ロックの市場が拡大すればするほど、その市場原理とロックの精神の利害に摩擦が生まれる。市場社会の中、この問題は永遠に付きまとうだろう。そして、とくに日本におけるロックがエンターテイメント性に傾倒していることを後で述べたいと思う。
3ロックの<場>の位置付け

社会空間での音楽芸術<場>の力学
2章で述べたロックミュージック文化の3つの指標をもとにロックの<場>を社会学的に定義する。ただ、この定義はあくまで、社会学的論理・歴史論理に基づくものなので必ずしも現代の音楽全体に適用可能とはいえない。だが、この図表をもとに現在のロックミュージック・そしてポピュラーミュージックがどのような流れで動いているのか、社会の構造によりどのような変化が生まれるのかを考察できる。次章から述べる日本でのロックミュージックの受容においてこの流れの認識が特に重要となる。この図表はピエール・ブルデューが文化社会学のための方法論として案出した<場>の概念に基づいて『ロックミュージックの社会学』の著者南田勝也氏が作成したものを抜粋した。繰り返すようだが、音楽そのものを科学的に分析して理論化したのではなく、社会の中で音楽がどのように認知されるかを表したものであり、その社会形態・モダリティなどでこのジャンル分けは変化するということである。今回は日本における<場>がどのようになるかに特に重点をおく。
<場>の力学自体は図を見ればほとんど理解できるだろう。ロックが下層・反抗の音楽であるのと対照的に高級芸術音楽は上方向に向かう。左右の動きは図中にいくつか具体例を示したが端的にいえば思想の違いである。高級音楽でいえば、純粋に芸術性を楽しむ側と上流階級がその階級たるものを示すために楽しむ音楽の違いである。ロックで言えば、右に流れるほどロックの芸術性を追及した音楽・それに対して左側はまさに反抗精神・閉鎖主義を主点とした音楽であり、政治的意図をもった作品などもこの方向性といえる。そしてこの極端な4方向性がエンターテイメントとしての特性に傾倒すると大衆化する、つまり中央に集中するのである。現代ではともに芸術性を追求するロックとオーケストラ・現代音楽の融合なども現れており、この図式には収まりきらなくなっている。このような状況は大衆化とはまた異なるが斜めの方向性(芸術音楽から前衛化したロック)の流れは結びつきやすい側面を持つことを表している。またこの大衆化を語るときに良く使われるのが「ロックのポップ化」である。ここでいうポップとは「ポップな曲調」などで使う意味ではなくいわゆる「ポップメディア」などと使われるポップである。反抗的な側面・芸術的志向双方を軽視し、大衆に受けるエンターテイメントとしての「ロックと呼ばれる何か」がポップ化したロックといえるだろう。また、反抗の精神を失ったロックを称して「ロックは死んだ」ともいわれるが、私が思うにロックの概念自体社会の変動とともに変わるものであり、「反抗する必要のない時代に反抗の精神は生まれない」し、エンターテイメントの市場が主流の時代でそれに歯向かうだけでは生き残れないのである。そして階級のない日本などではなおさらである。例えばクラシック音楽が高級なイメージを持っていることは確かだが、クラシックを聞く人=高級な人というイメージはもはや過去のものだろう。ロックミュージックに対して手を出しづらいと感じる人々も多くいるが、いわゆるポピュラーな音楽・チャートに入るような音楽の中でも列記としたロックを奏でるミュージシャンも多数存在する。
そして日本においてはそもそも社会においてロックが導入された時に、その反抗の精神や、芸術性などを含まない形で、なおかつエンターテイメントの道具として認知されてしまったのである。日本でロックはできないといわれるほど、その文化的成長は遅く、日本人による日本語のロックが技術的・そして社会的に確立するまでに多くの時間を要したのである。
4日本のロック
日本のロックの歴史は前途多難であった。理由として日本の体質が「芸能界=音楽界」であったこと、ロックミュージックが誤った形で導入されたことがあげられる。
ビートルズ来日後、日本におけるロック(と呼ばれる何か)も加熱した。日本におけるロックの導入は60年代に現れた「グループサウンズ」と呼ばれるジャンルである。これは日本にある歌謡曲をロック調にアレンジしたものでビートルズの「アイドル性」「少女ファンを呼び込む姿」を模倣したものであった。つまり、「反抗のシンボル�ニしての」「芸術家としての」ビートルズを模倣したわけではなかった。楽曲自体がビートルズのそれとかけ離れていたのはもちろんだが、いわゆるプロモーション戦略「少女ファン向けの甘い笑顔」「映画出演」などを見ればこれが「来日時のビートルズの模倣」にすぎなかったことがうかがえる。しかも、売り出す楽曲自体は彼らグループサウンズと呼ばれたバンドメンバーによるものではなく当時の「プロの作曲チーム」によって作られ、�]来からあるリズム歌謡や青春歌謡と大差なかった。「メロディはともかくアレンジについては常にロックのアレンジを目指していた」というが、かえってそのアレンジが旧来のメロディとのギャップを際立たせていたのである。そしてグループサウンズを売り物にするバンドの大半はステージ上では洋楽のカバーをメインにしていたという。「自分たちの曲は意地でもやらない」というほどバンドメンバーたちは日本におけるロックが絶望的であるという意識を強めていた。そして、そういった彼らが海外のロックを体験し、帰国後「ロックフェスティバル」を行った事実もある。だが、グループサウンズの商業主義に完全に敵対するその姿勢もあり、ロックが音楽界の一線に上ることはなかった。[添付CDトラック6]
それでは、なぜ日本に上陸したロックはこのような形になってしまったのだろうか。繰り返しになるが「芸能界=音楽界」の図式である。音楽番組ではミュージシャンは派手な衣装を着せられ、演奏も口パクかつ制限時間のため演奏の省略などが古くから横行していた。そこにはいわゆるエンターテイメントの指標しか存在しなく、ロックの精神的基盤・芸術性よりもまず儲かること、商業的になりたたせることばかりが考えられていた。そして、当事者たちがその状況にある種あきらめを持っていたことも大きい。日本ではロックは受け入れられない、日本語ではロックは成立しないなどという固定観念があった。また洋楽の紹介雑誌が創刊され「進んだ海外、遅れた日本」の図式が社会の中に浸透してしまったことも日本においてロック文化がなかなか根付かなかった大きな要因である。実際、日本語でもロックの試みをしていた人は多数存在するのだが、社会における言説・イメージがロックミュージックの認知を遅らせてしまった一番の要因といえるのではないだろうか。
5フォークからロックへの試み
60年代から70年代にかけてミュージックシーンの第一線にのぼったのがフォークであった。これはグループサウンズが持つエンターテイメント性には傾倒せずに、日本語の詩の世界を追求したジャンルであったのと同時に、ある種「ロックの精神」を持ったジャンルであった。つまり、私生活の自己表現や社会への反抗をストレートな歌詞とアコースティックギターで奏でるというものであった。しかし、フォークはいわゆる歌詞に特化した表現であることが先行し、それはロックが持つ芸術性とは性質を異にしていたのである。実際、フォークのコンサートは制限時間の大部分を「語り」にあて、曲はほとんど演奏しないこともしばしばで、プロテストソング、メッセージの付属品的な部分が大きかったのである。そして、フォークの世界観とロックの世界観は時に激突するのであった。そのころ、一線級ではなくともいわゆる反抗的なロックを奏でていた人々に言わせれば「フォークは女々しい、弱弱しい音楽」でありお互いが融合することはありえなかった。だが、このフォークの世界観と野蛮性ばかりを強調し、歌詞は状況をひきたてるだけであった当時のロックとの調和が日本のロックを生み出すことになるのである。[添付CDトラック7]
6はっぴいえんどから
日本でも徐々にロックが浸透していった。海外での評価を意識したゴダイゴなどはある程度の認知を得て、さらに日本でも大ヒットを飛ばした数少ないバンドであったが、日本で売れてしまった瞬間それがロックであるとは認識されないのが現実であった。新しい音楽表現は多数認知されるようになっても、「ロックである」と明言した瞬間支持されないという中途半端な社会の受容体系がいまだにロックに難題を投げかけていたのである。[添付CDトラック8]
時代的には少々さかのぼるが、いわゆる日本のロックの起源と呼ばれるのが「はっぴいえんど」というバンドである。彼らが活動していた時代にはそれほど認知されていなかった彼らが今になって脚光を浴びるのにはいくつかの理由がある。それは、その時代一線にいたフォーク、ロックどちらからも敬遠され、当然エンターテイメント的な活動もしなかったからである。だが、彼らは日本語の詩の世界とメロディを深く追求し、演奏とともにその楽曲の芸術性を初めて追求したバンドだったのである。それは一見フォークの歌詞・サウンドにも感じられるし、ロックのサウンドもふんだんに取り入れていた。楽曲的にはもちろん、その精神的背景・姿勢が日本人による日本語のロックを作り上げたといえるのではないだろうか。実際彼らのライヴは曲を黙々とこなす楽曲第一主義であり、詩の世界・曲・演奏すべてを大切にするものであった。日本においてロックの反抗精神は単なるアナーキズムやプロテストソングではなく商業主義やエンターテイメント性に傾倒する業界から離れて、自己表現を追求する形で生まれたのである。[添付CDトラック9−10]
7日本語の詩とロックのメロディ
この章では少々話の流れから脱線して、「日本語の詩とロックのメロディ」について私なりに考察する。
題材にしたのは有名なスピッツの「ロビンソン」という曲と出所不明の海外ミュージシャンによる「英語版ロビンソン」である。まず、本家のロビンソンであるが幻想的なギターアレンジと詩の世界とメロディが調和した美しさが特徴である。ポップなメロディでありつつ日本語の詩が持つ重みが落ち着きを与えている。実際この曲が大ヒットした時の状況はかなり不思議であった。一度もチャートの上位に食い込むことなくじわじわと売れていったのである。またドラマのタイアップなどのコマーシャル活動も少なくテレビ出演もかなり限られていた。他にも数多くの名曲を作り出している彼らだが、この曲がなぜ普段ロックに触れることの少ない日本人に受けたのかは興味深い。おそらくロックにおけるすべての要素を捉えきれる人は日本には少ない。それぞれの人が持つそれぞれの価値観すべてを網羅したことが大きな要因だったのではないだろうか。まず幻想的かつ深い歌詞構成に感銘を受けるものがいるだろう。普段ポップなメロディになじんでいる人を捉えることもあっただろう。そして美しいギターアレンジ、そして独特のリズム感に惹かれる人もいたに違いない。だが、ここで強調するべきなのは「日本語とそれに最適なメロディ」がもたらしたものではないだろうか。英語版の方を聞けばわかるが、それはもはやたんなるポップソングにしか過ぎず、日本語が持っていた幻想感、表現の深さは感じられない。日本で受ける音楽だから当然という人もいるだろう。だが、この曲が日本語でなかったらここまでの完成度はえられなかったはずである。もはや今では常識であるが、「日本語でロックは奏でられない」というのは誤りである。もちろん、英語にあうリズム、日本語に合うリズムはそれぞれ異なる。だが、それは良し悪しなのではなくお互いの特性なのである。[添付CDトラック11−12]
8バンドブームから日本語のロックへ
80年代後半ザ・ブルーハーツというバンドが一声を風靡した。いわゆるバンドブームの時代が起こったのである。一見するとそれは日本においてロックが根付いたかに見えた。実際には、バンドブーム自体はロックに残したものは少なかったが自己表現を目指す流れは徐々に出来上がりつつあったのである。ブルーハーツは社会における外れ者、疎外感を前面に出してバンドを構成した。その独特の歌詞と耳に残る演奏は日本におけるロックの確立にも感じられた。だが、実際には後に彼らが言ったように「反抗のうたをカラオケでみんなが歌うようになったら終わりなんですよ」という言葉が象徴的である。日本には階級も差別も少ない、社会不安も少ない。反抗のうたが庶民に取り入れられた瞬間、それは単なるトレンドとなり新しいスタンダードになってしまったのだ。そしてバンドブームは日本の芸能界の古い体質をひきずった情けないものに終わった。テレビ上でアマチュアバンドがオーディションを受け評価されるという番組は、徐々にそのビジュアル性ばかりが評価され、楽曲を一般受けするようにしろといった商業主義の中で生き残れるスタイルへと変更させるものばかりであった。それはのちの「ビジュアル系」や「スタイル重視」の「ロックと呼ばれる何か」が流行するきっかけまでを作ってしまったのである。[添付CDトラック13]
そうしたなか、はっぴいえんどに影響された世代が徐々に日本のロックを確立していっていた。表向きには「伝えることなんて何もない」と言いつつ、芸術的な詩と音楽の世界を持ったバンドが数多く現れてきたのである。つまり自分の生活観を表現豊かに奏でる「日本のロック」が徐々に浸透していったのである。渋谷系と呼ばれたフリッパーズ・ギターやピチカートファイブ、フィッシュマンズなどの個性豊かなバンドは現在彼らを聞いて育った次の世代に受け継がれている。常に洋楽ロックの影響・ルーツをもって模索されていた日本のロックにはじめて日本人のルーツが生まれるようになったのである。[添付CDトラック14−15(サニーデイ・サービスは渋谷系に続いたバンドで2000年に解散)]
9まとめ
依然として日本の音楽界はエンターテイメント指標一辺倒である。もちろん、純粋な音楽を目指す人は数多くいるのだが、ヒットチャートも見てもテレビ番組を見ても大衆が音楽に対して「エンターテイメント・低俗で一時的なトレンド」と捉えられるのも当然である。だが、日本のロックがアンダーグラウンドで徐々に確立してきたのも事実である。現状ではプロにはならず、一生アマチュアを貫くようなバンドもたくさん存在するのである。業界のしがらみに縛られたくない、自分たちのスタイルを壊されたくない、このような意思を持つものはおそらく日本だけではないだろう。商業主義の中で自己表現を貫くことの難しさは常に課題なのである。
音楽は社会が規定する。今回の研究で確認したのはこのことだろう。ロックというジャンルも違う社会に入れば状況が異なる。音楽を科学的に分析し、高めることも当然必要な作業である。だが、社会とのコミュニケーションである以上、音楽は社会が規定するのである。日本は体質的にはロック文化を受容しがたい国である。単なる反抗歌ではファン層はつかめない。もちろん人によって感性が異なる、音楽に反応するツボが違うのである。これからの研究テーマは主にそこに当てようと考えている。まずは、個人の音楽観の違いが生まれるさまざまな要因を考察すること、そしてそこから社会にどうつながるのかを模索する。日本人のエンターテイメント性は音楽だけに限らない。芸術やファッションなどにも同じことが言える。センセーショナルかつ印象的な宣伝効果を与えたものが生き残るのが現状である。それらの状況をひとつひとつテーマ立てて研究しようと考えている。
10自作作品へのフィードバック
研究会での研究を自分の音楽表現に生かすことが最終目標である。自分自身の活動はちっぽけではあるが現在も継続している。今回は試作の作品、いわゆるデモテープとよばれるたぐいのものをひとつだけ紹介する。コンセプトは人それぞれにさまざまな解釈できる詩の世界と、印象的なギターアレンジ。その他のパートは現在構想中のため未完成。[添付CDトラック16]
以 上
参 考 文 献・資 料
鈴木佑治(2000)『言語とコミュニケーションの諸相』三省堂書店
南田勝也(2001)『ロックミュージックの社会学』青弓社
リチャード・ミドルトン「ポップ音楽の批評方法」(『ポピュラー音楽の研究』(1990)編訳者 三井徹)より
添 付 C D の 内 容
01 Elvis Presley Burning Love
02 Rolling Stones I can’t Get No Satisfaction
03 Bob Dylan How Does It Feel
04 The Beatles Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band
05 The Beatles With A Little Help From
My Friends
06 ブルー・コメッツ ブルーシャトウ
07 岡林信康 友よ
08 ゴダイゴ ガンダーラ
09 はっぴいえんど 風をあつめて
10 はっぴいえんど 12月の雨の日(ライヴ盤)
11 スピッツ ロビンソン
12 出所不明 ロビンソン英語版
13 ザ・ブルーハーツ りんだりんだ
14 フィッシュマンズ ナイトクルージング
15 サニーデイ・サービス 胸いっぱい
16 鴨池恋模様 自作